「遠友夜学校」に学ぶ”遠友再興塾”
新渡戸稲造夫妻が創設した遠友学校の精神を学ぶ

プロフィール

Author:遠友再興塾
札幌の誇り、教育の基、文化の香り、遠友夜学校の再興を目指す”遠友再興塾”
<遠友再興塾・事務局>
〒060-0053札幌市中央区南3条東3丁目マルキン本社ビル5F
〇連絡先
Fax:011-894-5530
mail:inazo@utopia.ocn.ne.jp 
📱:090-2699-4392
担当:木村良三(イナゾーアーキテクツ)



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陳情書提出受付される

昨年8月提出の『札幌市民の郷土の誇り、「遠友夜学校」の貴重な財産である史料を護り、市民による市民のための活用を図ることを求める陳情』は同年9月文教委員会陳情新議会にて、「継続審議」となるも本年5月前市議会議員任期満了に付き審議未了廃案になりました。
本日新議会に『札幌市民の誇りである「遠友夜学校」を札幌市とともに次世代に継承・継承を進める陳情』を提出し受け付けられました。議会事務局で精査し数日後受理される予定です。

<陳情書>
札幌市議会議長 様
平成27年6月25日

札幌市民の誇りである「遠友夜学校」を札幌市とともに次世代に継承・顕彰を進める陳情

提出者)札幌市中央区南4条東3丁目19番地
遠友再興塾代表 山﨑健作
011-231-9852

(要旨)
「遠友夜学校」の意義を明らかにし、新渡戸稲造・萬里子夫妻の意思の教育的価値を、広く市民に知らせ顕彰していっていただきたい。

財団法人「遠友夜学校」と札幌市が昭和37年に交わした同意書に基づき、札幌市が主体となって、施設の建設の在り方と史料の取扱いの在り方を検討し、合わせて市民やさまざまな団体がそうした活動への協力を進められるようにしていただきたい。


(理由)
私達はこれまで開発発展と云う名の下に、数多くの先人達が血の滲むような汗の結晶の足跡を示す建造物・史料等を観る、触る事が出来なくしてしまっている事が多々あります。歴史にははじまりがあり、そのはじまりを大切にしたいものです。
その場所にこそ先人達の汗が染み入り、歴史はその場所でのみ息づかいが感じられるはずではないでしょうか。歴史はあるべきところにあるべきです。

121年前、新渡戸稲造は札幌に自分の理想とする学校を設立しよう、とかねてからの夢を具体化させました。当時、人口二万五千人の札幌の子供達で、学校に通えるのはせいぜい半分程度でした。そこで新渡戸稲造が考えていたのは、公立小学校に通えない子供達、そして働いている青少年達のための夜間学校でした。

そしてこれは、世界的偉人である新渡戸稲造と萬里子夫人、そしてこの学校に関わった多くの先人達が札幌に遺した史跡と史料の顕彰施設は、札幌市民の誇りとするものとして世界に発信し得る文化遺産です。
しかしながら、この事実を多くの札幌市民はほとんど知らないと言っても過言ではありません。連綿と引き継がれた「遠友夜学校」の精神を次世代へ引き継ぐのが私達市民の誇るべき責務であります。教育の原点である「遠友夜学校」をここでふり返ると教育の未来への光明が差し込み混、迷する教育への指針となり得るものです。

そして今日まで月日を重ね開校68年後に、新渡戸稲造・萬里子夫妻が創設したこの「遠友夜学校」の土地・史料等は、「札幌市の寄附依頼をもとに昭和37年に財団法人「遠友夜学校」から、札幌市に‘札幌市勤労青少年の健全育成’と‘四項目’を同意条件に市側に寄附されたもの」であります。

最後に、さっぽろ文庫「遠友夜学校」発刊時の板垣市長の『高い理想と努力、それを大きく支えている相互信頼こそ、現代にも通じる貴重な財産です。
わが街・札幌がその歴史の中に、こういう「遠友夜学校」を持ち得たということに、私は喜びと誇りを感じるのです。』の序文をかみしめたい。
 また、札幌市・札幌教育委員会の”「さっぽろ文庫」の刊行にあたり”で記述されている「・・・先人の文化遺産を受け継いで郷土への認識を深め、且つ展望を伐り拓くことの大切さを思い、・・・」此の想いを市民とともに共有具現化する事ではないでしょうか。

議会の皆様におかれましては、どうかご理解ご高配の上“文化都市札幌“を市民とともに党派を超えて世界に発信して頂きたく陳情申し上げます。


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遠友ウォーク

☆参加者募集中!!
~旧新渡戸宅跡から遠友夜学校跡地まで~
新渡戸稲造博士の縁の地を巡り歩いてみませんか?
道すがらまちのあたらしい発見があるかもしれません!
―日 時―
7月18日(土)9:30~12:00
―集合場所―
北3条西1(全日空ホテル)正面入口
―集合時間―
9:15(時間厳守!)
ー参加費ー会員無料、非会員500円(資料・軽食付き)
―コースー
旧新渡戸宅跡⇒?おたのしみ?⇒遠友夜学校跡⇒エイジス北海道(軽食)⇒解散
※申込〆切は7月11日(土)まで下記へ【お名前・ご住所・ご連絡先】をご連絡下さい
<主  催>遠友再興塾(南3東3マルキンビル5Fエイジス北海道内) 
        事務局:岡崎 090-7650-4881 Fax011-232-7638
<担  当>遠友再興塾幹事: 牧  090-3778-6194
              〃    :白川 011-221-4731


学問より実行―新渡戸校長のお話―4

万事私に代って代表をして下さった人は何んと偉い人ではありませんか、近頃は専ら半澤先生が色々の事をして下さる。教育は物を覚えることよりも立派な人だとされる方が後々の成功も確かだ。現に私の家で沢山人をつかって居るが御飯炊きのばやが居る。此の人は四十幾つで広島の田舎に育ち百姓の家に早く嫁ぎ朝となく夕となく働きい、本を読む余暇が無かったので字も書けず家に来て始めて字を覚えた。新聞に手習ひして三年で手紙が書ける様になった。然しこのばあさんは台所に居ても屋ても暗闇の太陽の様でニコニコして何をしても有難い有難いと云ふ、之は自分が作るからでなくて若い書生が文句でも云ふと「こんなものでも食べられぬ人がある有難い」と云ふから書生達も癪に障る事があっても此のばあさんの前ではだまって居る。で若い女も「あのばあやの為に家がどれ程よく行っているかわからない」と云ふ。之は眞の人間になって居るのである。学問とはつまり此の様な人になる事を目的とする。

四十年前に学校を開いた時は毎週三日宛来た、楽しみにして来た。其の時は人間になりきれない「ア―ン」と口を開いて居た「アンコ」が居た。私は第一に云った「口を閉めろ」「先生口を閉めたら息が出来ません」「鼻でしろ」「鼻はつまって居ます」「鼻がつまっているならかめ」それまで私の顔さへ見れば十人が十人鼻を動かした。どれ程学問しても口があいて居ると鼻を動かした。どれ程学問しても口があいて居ると皆口から出て了ふ。併しさっき教室を見て廻り大分いいなと思った。先生の御丹精の結果之でこそよいなあと思った。女子の生徒の手を見て歩いた。よく働き冬の中働いたひびの痕があるのを見ても、もうもっとも癒って居る時であらうが案外思ったよりより之は手入れがよいのだなあと思った。女は殊にそうである、手なり顔なり仕末をつけて置くものである。兎角油断すると顔だけ仕末するが手の方が大切である。今夜見て先生の丹精もあらうが銘々の丹精であらうと思った。昼の間働き夜学ぶのであるからスタートが先づ第一に好い。長官も此の学校を調べ良成績であったのを褒めた。

※まさに修養



学問より実行―新渡戸校長のお話―3

始めは何の名も付けずに学校を開いていた。先生達には農学校の学生さんに頼んだ。二千円で土地と家を買って全部費したので先生達には何にもお礼をしなかった。冬にはスト―ヴもいり夜は電燈が要る、三島、宮部氏其他の親しくして居た人々にお願ひして今日迄夜学校を維持して来た。
何の名も無く前に松が生えて居た。之は今は切って無いが蠣崎さんとか思ふが来られて「先生名がないから何かつけませう、唯夜学校では他に夜学校が出来たら困るから松の木があるから松の学校としては如何」と云はれた。併しそれも変なので元を質せば米国のような遠くから送って来た金且家内の発意にもより、又「有朋自遠方来不亦楽乎」とあるから両方とって遠友夜学校とした。此の句の意味は国も名も言葉もわからぬ人、何處の人とも云はれぬ人がやって来て会って話して見ると何となくわかる、其の様な人は名を知らず國を知らずとも心と心が合えば之即ち友達である。友達とは名を知るのが条件ではなく心は合へば良いのである。年齢が違っても位置が違っても、一人は高い役人でも一人は偉い学者でも金持ちでもそれは大した事はない。相会って金持ちだとて威張らぬ、学者だとて役人だとて人を見下げぬ、何となく気持が好い。こう云ふ悲ちと会ふと嬉しい人間の楽しみはなんと云っても気の合ふ人に会ふことである、此の意味を孔子は「有朋自遠方・・・・・」と云ったのだ。

此の学校を始めるに当り先生を頼んだ。学問の出来る人のみを頼んだのではない友達になれるー遠友になれる人、子供を可愛がる人、畢竟人と会って明るい気持ちで親切にして呉れる人を頼んだ。
だから遠友夜学校に来て居た人は立身する。

※新渡戸稲造の教育論の真髄です。
「子曰、学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。」


学問より実行―新渡戸校長のお話―2

学校の始めは今より四十年前私が外国から北海道に帰り米国で貰った家内を連れて来た。私の家内の父が世話好きでいろんな人を世話し、或は家に泊め居き或は都合して困って居る人を助けるのが道楽であった。或る時みなし児で孤児院に居たのを引き受けて養って居た。年は十四、五で女中よりも良く取扱ひ教育されていた。父も母も家も無いそれで父の養女の様にして居た。年は取っても嫁かず家に残り家事を手伝ひ六十余歳迄長らへて居たが遂になくなった。遺言に小使ひを蓄めた幾何を(二千円と記憶するが)、家内にやって呉れと書いてあった。その金が札幌に来た。家内は其の有難い涙の籠った金、頼りない孤児の蓄めた金をむざ~とは使はれね。何か世の不幸な気の毒な人の為に使ふ道は無いかと云ふのであった。そこで私は「それはよい、丁度考へて居る事があって金が無くて出来なかったが豊平の橋の近所に小さな家が在り地面が在って其處には日曜学校を開いている星と云ふ人がある。あの土地とあの家を買ひ、日曜のみならず毎日夜学校を開けば五十人にでも好い学校を開いては如何」と云ふと家内は「よからう。そう云ふ様に此の金を使へば今のみなし児も定めし嬉ぶでせう」と云って地面と前の古い校舎を買った。故に私が校長と云ふものの校主とも云ふべきは私の家内である。此の家内も自分の金でなく父の世話をした人の蓄めた金である。

※当時の二千円を企業物価指数による算出方法で計算すると現在4.418.000円


学問より実行―新渡戸校長のお話―1

私は此の学校の校長と云ふ名があるにも拘わらず平生御無沙汰して済みません。然し御無沙汰して居ても学校の事を忘れた事はありません。然も此の学校に就いて良い評判を聞く毎に甚だ嬉しく思ふ。それは自分が校長と云ふ名を持って居るので自慢の様に聞えるがそうではない。私が校長でなくとも此の札幌にこんな学校があって昼は働き夕方になると此處へ学問しに来る若い人が大勢ある。子供の頃は一時間でも暇があれば遊びたい、殊に仕事をする人は夕方になると疲れる。雪の深い中も雪を踏んで来る、こんな心掛けの人が大勢居られると云ふ事は私にとり何とも云はれぬ教訓であります。自分の心の弛む時でもこんな人も大勢あると思へば安閑として居られず貴下方の話しを聞く毎に自分の心を鞭打たれる様な気分がする事がある。

斯く只今述べた如く無沙汰しても学校を忘れた事はない。いろいろな人が視察して東京に来られて遠友夜学校は実に感心であると云ふ話、卒業生の働き先で良く働く事を聞きこんな学校を始めた事の無意義でない事を嬉しく思ひます。

※学期報『遠友』9号(昭和6年11月)記載の来校講話をさっぽろ文庫18「遠友夜学校」より6回に分けて転載致します。


遠友夜学校と私ー序にかえてー

『「遠友夜学校」という言葉を聞くだけで、何かしら“青春”、“理想”といったイメージをなつかしく心に感じるのは、私だけではないような気がします。』から書きはじまる「さっぽろ文庫18「遠友夜学校」」の序文は当時の板垣武四札幌市長です。

そして序文は―中略ー
さて、遠友夜学校は卒業しても資格取得にならないにもかかわらず何とかして真理を学びたいという若者の熱情と、それに応えて無償で教壇に立つ人々の理想とが一致した場であったということができましょう。

先生よりも年長の生徒もいたということですから、両者の間にあるものは相互信頼以外の何ものでもなかったと思われます。

高い理想と努力、それを大きく支えている相互信頼こそ、現代にも通じる貴重な財産です。

わが街・札幌がその歴史の中に、こういう「遠友夜学校」を持ち得たということに、私は喜びと誇りを感じるのです。
                                            昭和56年9月(1981)

※今この時も共有し続けるべき、市民の喜びと誇りではないでしょうか?



新渡戸記念館も危ない?!

日本は梅雨入りだそうですね。

カイロの2日は50度を超え、近年にない酷い砂嵐でもありました。

下の記事はその熱波と砂嵐にも勝る脅威が日本に蠢いている事を感じさせられます。

新渡戸の地元でもその物証、歴史の証を亡きものにしようという動きが始まったのでしょうか。

2003年の正月に南茅部町で発掘された世界最古の漆(9000年前)の保管場所が火災にあってその漆が焼失したとの衝撃的な新聞記事に驚きましたが、そのプロジェクトに関係している保存修復の専門家に聞きましたところ、あれは内部の犯行だったとのことです。

そういう本当の話は記事にはなっていませんでしたが、そのような歴史的な証が日本にある事を忌み嫌う人達がいるのだと言うことを知り唖然としました。

戦後アメリカの行ったWar Guilt Information Programによって日本人を洗脳することが未だに続いているのでしょう。

27/6/9:エジプトより中村

産経ニュース27・6・8版(WGIP解説)

[続きを読む]

『武士道』の危機

「新渡戸記念館の耐震性に問題がある」!?

あの『武士道』を世界に知らしめた新渡戸稲造博士の遺徳を讃え、博士の愛用品や新渡戸家伝来の甲冑などを展示した記念館「十和田市立新渡戸記念館」が廃館の危機を迎えているそうです。

十和田市長の小山田久氏が突然、と言い出し、今月末までの廃館と、今年度中の解体撤去を要求してきたのだそうです。

新渡戸家では、突然のことに驚き、著名な専門家の方々に市から提出された報告書を見てもらったところ、おかしな点がいくつもあり、この報告書は信頼性に乏しいとのこと。

記念館側では、市の耐震調査について疑義を抱き、市に話し合いを求めましたが、協議は進展せず、「出て行くったって、どうすればいいんですか?野ざらしにでもしろと言うんですか」と聞くと、「そういうことだ」と答える有様。

『記念館だより』という定期刊行物にも市の検閲が入り、出せなくなってしまったそうです。

さらには、市議会から継続的展示に関する賛成決議が全会一致でなされたにも関わらず、市長は応じず、廃館を断行する姿勢。

そもそも市長の指示は、休館→取り壊し→廃館と勝手にエスカレートし、「耐震性に問題がある」理由から導かれる結論としても飛躍。

新渡戸稲造博士の愛用品や新渡戸家伝来の甲冑が並び、室町時代の物もあるという貴重な文化遺産、約8000点もの資料が失われてしまうこの危機を救うため、ぜひ拡散お願いいたします。
(6/7:リアルインサイト 鳥内より)

-関連記事・ブログ-

河北新報

ねずさんのひとりごと

リアルインサイト 鳥内

醜い日本人がふえているようです!!

「もったいない」という言葉に潜む文化感覚

「手慣れた道具」という意味で、福田恆存が例に挙げているのが「倹約」という言葉である。
__________
私たちは子供の頃修身でよく倹約という美徳を教わりました。進歩的な考え方、ことにマルクス主義的な考え方からすると、倹約を道徳の徳目として教えるのは支配階級が自分の支配に都合のいいように、被支配階級を貧苦の内にとじこめて置く為のものだと言うことになります。
しかし私は必ずしもそういうことで片づくとは思いません。そもそも倹約とは物自体を尊ぶという事なのです。例えばよその家で出された食事を残すと「もったいない」と考える。
それは第一にその食物に食物としての本来の機能を発揮せしめなかったから「もったいない」 のです。第二にその食物を作ってくれた相手の家の人の誠意を十分に受けとめ得なかったという意味で「もったいない」わけです。

このようにすべて物質の中に何か心を見て行くというのが日本人の本来の生き方です。そういう点で、一種の美意識というか、文化感覚というか、そういうものが私たちの中に自ずからに備わっていたのです。従って私たちは物を粗末にすることに心の醜さを感じるのです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
福田恆存『人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』、H27、文藝春秋[p19]

「もったいない」とは、「勿体」、すなわち物の本来の価値を十分に生かせずに申し訳ないと思う気持ちを表す。和英辞書を引くと、"wasteful"という単語が充てられているが、これは「経済的に無駄が多い」という効率性の概念で、日本語のような倫理的な罪悪感は込められていない。(国際派日本人養成講座より・文責:伊勢雅臣)

「遠友夜学校」の史料譲渡は「もったいない」のでは?



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