「遠友夜学校」に学ぶ”遠友再興塾”
新渡戸稲造夫妻が創設した遠友学校の精神を学ぶ

プロフィール

Author:遠友再興塾
札幌の誇り、教育の基、文化の香り、遠友夜学校の再興を目指す”遠友再興塾”
<遠友再興塾・事務局>
〒060-0053札幌市中央区南3条東3丁目マルキン本社ビル5F
〇連絡先
Fax:011-894-5530
mail:inazo@utopia.ocn.ne.jp 
📱:090-2699-4392
担当:木村良三(イナゾーアーキテクツ)



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訃報

30日、山崎代表の奥様が、お亡くなりになりました。
通夜、告別式は、下記の通り執り行われるとの事をお知らせすると共に謹んでご冥福をお祈りいたします。

通 夜:5月31日(日) 18時から
告別式:6月1日(月) 10時から
場 所:妙典寺
住 所:札幌市中央区南16条西7丁目2-21
TEL:011-531-6655

遠友再興塾


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大通りの散歩で

・・・・中略・・・・
ところで、帰りに西12丁目まで歩いて全記念碑等を見てきました。
やはりベンソンの水飲みは、改めて通水の予定は悲しいことにありません。
もちろんポートランドから送られたものであるとの説明は近くにありますが、
水飲み台には
 水飲み台をご利用のみなさまへ
 「ベンソンの水飲み」は「モニュメント」として展示しておりますので、向かい側(南側)の水飲み台をご利用ください。

 との看板が中央にくくられていました。
ベンソン  ベンソンの水のみ
↑今日、5月29日撮影                               ↑札幌市ホームページの写真
ポートランドを感じながら子供たちに水を飲ませる場であることに意義があって、水を飲む場所が提供されればいいとする…?
何だか遠友夜学校の末期と同じようで、恥ずかしかったし悲しかったです。
このように感じるって、おかしいですか?
先日は、寒かったり雨模様で少しでも多く見なければと、ゆっくり考えないでいたけれど・・・・中略・・・・

信子


夜学校の受難と再生―さっぽろ文庫18「遠友夜学校」

109~110頁より
・・・・ついに、昭和19年(1944)1月、閉校のときがきた。・・・
しかし、ようやくにして和39年(1964)。遠友夜学校の目的と精神を具現化する機会がめぐり来た。そのことについて、当時、第三代の校長にして財団法人の代表者でもあった半澤洵先生は「札幌遠友夜学校の記念誌」に、次のようにその心境を語っている。
 「・・・・ところが、この度札幌市が勤労青少年ホームをつくるために敷地を求めていることを聞き、これこそ遠友夜学校の精神を精神を引きついでもらえるものと考え、これを寄付することになりました。今それが完成し、更にその中には札幌遠友夜学校の精神を遺し伝える新渡戸部稲造先生記念室が設けられ、屋外には新渡戸稲造先生が非常に愛された児童の遊園ができました。これでこの事業が永久に残されることになりましたことは、多年この事業に責任を持ってきたものとして、よろこびにたえません。
 この由緒深い土地に、勤労青少年ホームが開設された昭和39年(1964)6月10日は、強い夏の陽が輝いていた。(引用終わり)

 そして昭和54年(1975)11月23日に関係者の長い歳月をかけた尽力で、ご夫妻を刻んだブロンズ像の除幕式が行われた。

 再び受難が訪れる、平成23年3月既存施設(レッツ中央)解体に伴い、この由緒深い土地(南4東4)から史料が「札幌資料館」(大通西13)へ移設され、一体であるべき場所からご夫妻を刻んだブロンズ像を残し別離されたのです。

 それからブロンズ像のみが寂しく残され、雑草が生い茂る無残な姿であった。

 そして平成26年7月には札幌遠友夜学校の精神を遺し伝える札幌資料館内新渡戸稲造先生記念室の廃止、「遠友夜学校」関連史料575点は北大へ無料譲渡された。バラバラになったのです。

 遠友夜学校の精神を引きついでもらえるものとの約束はどこへ行ったのだろう。
 札幌市民は新渡戸夫妻が札幌の地に遺した偉大な精神を忘れてしまってよいのだろうか。


「遠友夜学校」の記憶と記録

記憶は薄らぐものであり、それを遺すのが記録であります。
しかし記録を故意もしくは過失により内容を変更することは改竄でありましょう。

「遠友夜学校」と「新渡戸稲造」の記録を見詰直すには札幌市教育委員会編集により出された本のシリーズ「さっぽろ文庫」があります。

「さっぽろ文庫」の刊行にあたりの頁では
・・・・先人の文化遺産を受け継いで郷土への認識を深め、かつ未来展望を伐り拓くことの大切さを思い、ここに文化業書「さっぽろ文庫」の刊行を発意しました・・・とあります。

昭和56年(1981)9月 さっぽろ文庫18「遠友夜学校」※28頁、100頁、110頁が必読!
平成14年(2012)9月 さっぽろ文庫34「新渡戸稲造」
この2巻を是非読んでいただき、当時の札幌市教育委員会の郷土愛の情熱を受け止め、「遠友夜学校」の記録を正面から見詰め直して頂きたいおもいです。
さっぽろ文庫は、昭和52年(1977)より、平成14年(2002)までで、全巻は絶版ですが、札幌市の図書館で、閲覧することが可能です。

↓さっぽろ文庫18「遠友夜学校」と34「新渡戸稲造」は電子図書となっておりクリックし読めます。
札幌市ホームページ:さっぽろ文庫

『世渡りの道』

「品格のある生き方」
「応対談話の七要件」
①気取るな
②ありのままであれ
③商売気を出すな
④お世辞をいうな
⑤卑下するな
⑥人により言葉をえらべ
⑦相手から学ぶように心がけよ

※鈴木範久(『代表的日本人』の訳者)の要約<『聖教新聞』(2008年06月24日(火)より>
世渡りの道


おたより

せっかく再興塾のブログがあるのに、あまり読まれていないのでしょうか?
ー中略ー
そして、18日の台湾の話も良い!

あの記事に詳しくは書いてないけど、台湾の方が尊敬する3人の日本人…
私個人としては、後藤新平、新渡戸稲造、八田與一と思います。

あのなかの「You Tube 」も、台湾の人達の大きな思いが詰まっています。
あの世代の方たちの言葉だけで、一般的な台湾の人達の考え方とは言い切れないでしょうが、日本人が台湾で行ってきたことについて、私たちはあまりに知らな過ぎると感じます。
併せて日本が統治したがゆえに、台湾の人達が培ってきた特有の文化を壊したことも認識すべきです。
李登輝は考えるときは先ず日本語であり、また奥さんは和歌をたしなむなどとのことについて、私は素直には喜ぶことはできません。
そんなこともあって、私の根っこは、先ずは「本当を知ろうよ!」です。

あの「You Tube 」は、私が10数冊読んだ台湾関連の内容が凝縮されています。
ブログ作成の方たちのためにも、是非皆に読んで欲しい!
ごめんなさい!ぼやきでした(笑)

信子

烏水頭ダムの慰霊碑。
八田ダム 八田ダム
殉職者への慰霊文を八田與一が書き、日本人・台湾人分け隔てなく、亡くなった順番で、名前が刻まれている。日本人の名前も多く含まれている。


ひいきにする 

新渡戸稲造は
柳条溝で起こった満鉄爆破事件の5日後昭和6年9月24日の[編集余録]では次のように述べている。

『どんなに勇敢な行ないでも、正しくなければ賞めるべきではない。敏速この上ない行動でも、正義をその基礎としていないなら、単なる軽業にすぎない。

国家間の交渉にあっては、ずるいごまかしがどんなにもっともらしく行なわれても、また武力誇示がどんなに恐るべきものであっても、それはただ一つの問題をすら、永久に落着させることはできない。それは将来の紛叫の種をまいているだけである。』(320:31・9・24)


台湾めぐり9日旅

御無沙汰しております。

良い季節、庭の散策を楽しんでおられることと思います。

我が家も、今はバラ、ゼラニューム、シランが咲き、擬宝珠の葉がきれいです。
 
―中略ー

いつも遊ぶ話で申し訳ありませんが「横浜港から船に乗って台湾めぐり9日旅」 に行ってきました。

船旅は初めての経験でしたが、家事から一切解放され、何時でも食べ放題の旅は女房には大好評でした。

私も落語、クイズ、歌踊りのショーなど飽きることなく楽しんできました。

台湾では現地ガイドの話を聞きましたが、統治時代も含め日本に対しては非常に好感を持っていました。

統治時代台湾に貢献した3人の日本人を今でも台湾人は尊敬しているとのことで したが、その一人が新渡戸稲造とはビックリしました。

農業特に糖産業に貢献したそうです。また以前「台湾には世界遺産が幾つありますか」と観光客に聞かれたそうですが「国として認められていない台湾は世界遺産が無い」とのこと、また中国の脅威など台湾の複雑な状況を感じてきました。

写真添付します。(船の様子、船長と記念写真、クイズに出場、桜島の噴火)
船旅 船内 桜島

蒸し暑くなってきます。ご自愛ください。

2015/05/17   平松  磐
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人が行く道、外道が行く道

 道にはまた広い狭いの違いもある。人一人がようやく歩ける田んぼのあぜ道も道である。一方、僕が長年住んだ札幌の大通りは、明治の初め、黒田清隆が遠大な計画に基づいて設計したもので、道幅は六十間あるといわれ、こちらから向こう側を見ると、まるで河の彼岸のように見える。
 しかしこの道は全部使用されているわけではない、道全体に草がぼうぼうと生え、人が往来するところはその草を踏みつぶした狭い一筋の道である。広い道というより、草原の中に狭い道が在るという感じがする。
 ベルリンのウインター・デン・リンデンの通りは有名だ。広い通りの両側には三、四階の家が立ち並び、左右両側に人道がある。人道の次には石を敷いた馬車道があり、その次には砂を混ぜた軟らかい乗馬用の道がある。その次に自転車の通る道があり、それから大きな並木、そして中央にはまた人道がある。この真ん中の道は散歩のためのもので、腰かけもあれば氷屋もある。一方、左右の人道は買い物などする人のためで、ここは人々が忙しげに歩いている。
 つまり道は広いといっても人の踏むべきところは狭く、間違って他の道に入れば馬車に引き殺されるやもしれない。キリストが「我が道は狭し」といったのも、恐れ慎んで自分の道を行かなければ、外道に陥るおそれがあることを教えたものである。
『折れぬ心を欲する者へー武士道と修養』新渡戸稲造(実業之日本社)より


再陳情について

6月24日は定例札幌市議会が開催されます。
前期議会での陳情は「継続審議」となりましたが、5月1日市議会議員の任期が満了したことにより、審議未了廃案となりました。
札幌市への「遠友夜学校」の寄付は跡地・施設・史料が一体で、本来“あるべきところにあるべき”なのです。
したがって譲渡の条件を護ることが約束を守ることで、”全てあるべきところにあるべき”と再陳情致します。

○これまでの経緯をおさらい○
↓♢旧道立中央児童相談所敷地の利用計画について♢昭和37年2月14日札社第193号
<施設設置計画内容>
1、青少年の情操教育及び生活指導又は青少年のグループ活動の育成を目的とした施設を設置する。
(例青少年の会館、勤労青少年会館等)
2、保護に欠ける児童の保育所を設置する。
3、前2項の施設後の空き地に児童の遊び場を設置する。
4、新渡戸先生並びに遠友夜学校関係の業績を記念顕彰する施設、設備を、市と財団とで協同して設置する。
↓♢寄付申立書♢昭和37年3月31日
<寄付条件>
昭和37年2月14日札社第193号をもって貴殿より御協議のあった、施設設置計画による。
♢同意書♢昭和42年8月30日
札幌遠友夜学校は、故新渡戸稲造氏が札幌市における勤労青少年の健全育成を目的として創立し、経営を行った歴史的経緯を尊重し、その施設は札幌市勤労青少年の健全育成を目的とした施設の用地に限り使用すること
↓♢平成23年3月既存施設(レッツ中央)解体に伴う史料の「札幌資料館」への移設
↓♢平成26年7月札幌資料館内「遠友夜学校」関連史料575点を北大へ無料譲渡
↓♢平成26年8月『札幌市民の郷土の誇り、「遠友夜学校」の貴重な財産である史料を護り、市民による市民のため活用を図ることを求める陳情』の陳情書を再提出
↓♢平成26年9月文教委員会陳情審議会にて陳情説明し、審議裁決は「継続審議となる
↓♢平成27年5月市議会事務局より前市議会議員任期満了につき審議未了廃案の通知を受ける

※これからの陳情日程等をこのBlogに記載しますので、審議委員会には多くの方が傍聴されますようお願い致します。




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